わたしの「文化昆虫学」観 - ちょっと間違っているかも知れないけれど・・・ (1)

 昆虫は人類の文化とかかわりをもち,人間の言語,芸術,歴史,哲学や信仰などに,多かれ少なかれ影響している.また,多くの人々は昆虫に嫌悪感をおぼえるけれども,人によっては科学的な興味を覚えたり,美しさを覚えたり,ペットとして飼育したり,あるいはその生きかたに機能的な価値を見いだしたりと,昆虫に対する接し方には実に多くのヴァリエーションがある.では,一体どんな種類の昆虫が,人類の文化において重要視されるのだろうか?またそれぞれの昆虫は,どのような文化面において,どのような意味で用いられているのだろうか?


 文化昆虫学は,ひとびと(の社会)と昆虫との「文化的なつながり」を調べることを目的とする学問である.もう少し具体的に書くと,昆虫がひとびとの歴史や生活にあたえた影響のつよさ(インパクト)や,昆虫とかかわる文化面(言語や文学,芸術など)を調査・研究することである.ただし狭義の文化昆虫学は,ひとびとの文化を広くカバーするというわけではなく,この研究分野の枠組はどこか限定的であるように思われる.文化昆虫学という概念を世に送り出したHogue(1987)によれば,原則として文化昆虫学では知的営為としての昆虫利用を対象とし,生活手段としての昆虫の利用を含めないとしている(つまり,利用昆虫学とは区別される).また対象とする社会は,主に「消費物質社会」であり,「未開社会」を対象とする民族昆虫学とは区別されるという(民族昆虫学は,文化昆虫学の特殊な一分野として位置づけられるとしている.なお,この民族昆虫学の定義については異論がある.民族の意味する物は,未開のひとびとではないというつっこみがあるが,そのとおりだと思う).つまり,このような考えからいくと,たとえばひとびとの生活手段としての昆虫食は,文化昆虫学にふくまれないということになる.


 私は,文化昆虫学をHogue(1987)が定義したように,ひとびとの生活に直接寄与しないことに限定するのではなく,三橋(2000a)が提唱したように,ひとびとの生活手段としての昆虫の利用を含めたとらえ方をしたいと考えている.また対象とする社会も,「消費物質社会」だけでなく,ある程度の「未開社会」も含めたいと思っている.なぜならば私の興味は,昆虫が人間の歴史や生活にあたえたインパクトにあり,具体的には「どのような昆虫が人間社会に大きく影響するのか」と,「それぞれがどのような使われ方をしているか」という問題にあるからである.このような問題について考えるには,狭義の文化昆虫学を基軸としつつも,その枠組だけにとらわれず,民族昆虫学,利用昆虫学(応用昆虫学)などの知見を積極的に取り入れる必要があると思われる.つまり,文化という意味をより広く柔軟にとらえなければならないということである.そもそも,文化昆虫学と民族昆虫学,利用(応用)昆虫学は,めざす研究の方向性は異なっているが,全く独立したものではない.実際,人々の昆虫に対する認識(の程度)と価値観について研究しているKellert(2003)は,自身の論文において狭義の文化昆虫学の枠組にとらわれることなく,様々な分野の昆虫学に幅広くふれている.


 わたしの文化昆虫学考と文化昆虫学に関する研究は,まだはじまったばかりである.わたしの考えている文化昆虫学はどこか曖昧であり,もしかしたらそのとらえ方はまちがっているのかも知れない.あるいは,色々と勉強と研究をすすめていくうちに,私の考え方やポリシーもかわっていくだろうと思う.もしかしたら,本文と同じような主題で,何度か文を書くことになるのかもしれない.それでも,失敗や恥をおそれずに研究を進めていきたいと思う.もし,ご意見・ご感想やアドバイスがあれば,気軽にコメントしていただければ幸いである.



(主任研究員:イケダ・カメタロウ)