「兵隊虫」の思い出 - ツマグロカミキリモドキと大阪人の大衆文化昆虫学考(その2 / 3)

<大衆文化昆虫学考シリーズ>


 兵隊虫とは,大阪の一部地域におけるツマグロカミキリモドキの俗称である(初宿 2000).そんな兵隊虫ことツマグロカミキリモドキを使った子供遊び「兵隊虫勝負」が,ある時期に大阪で流行っていた.それは衛生害虫であるツマグロカミキリモドキをつかまえて,自ら肘(ひじ)の内側にはさむというものである.ツマグロカミキリモドキは,カンタリジンという毒を持つ.カンタリジンにむやみにふれると,炎症・水ぶくれの原因となる(個人差があります).

 わたしは大阪市内出身である.なんとなくではあるが,兵隊虫にまつわるエピソードを記憶している.わたしが兵隊虫勝負を目の当たりにしたのは,たった一度だけだったと思う.

 ・・・わたしがまだ小さかったころの兵隊虫に関する思い出をふりかえる.


 

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(※ずいぶん昔の子供のころの曖昧かつ断片的な記憶に基づいて執筆しておりますので,話の内容に不正確な点があるかもしれません.ご了承ください.)


 昭和50年代.わたしは小学生であり,大阪市東淀川区の下町(公共住宅地)に住んでいた.わたしは虫捕りに夢中であり,特にチョウやバッタ,カマキリを好んで採集していた.虫捕りは,ほとんど家の近所の公園で行っていた.今思うと,ほとんど定期的なルートセンサスのようだった.

 当時のわたしの生活圏では,ツマグロカミキリモドキは普通種でもなく,珍種というわけでもなかったように覚えている.当時は,本種の生態を詳しくは知らず,公園の塀などにはっているのを時々みかける程度であった.わたし自身,本種を見かける機会は複数回あったが,わたしは本種に興味がなく採集対象とすることはなかった.その理由は,この種がとても格好のよい昆虫に見えなかったことに加え,この虫が体内に毒を持っているので,むやみにさわるなと誰かに教えられていたからである.なおわたしは,当時すでに本種をカミキリモドキ(の仲間)であると認識していたと思うが,この記憶は定かではない.


 ある日,友人N君からこの昆虫に関する妙なはなしを聞いた.この虫が周囲では兵隊虫と呼ばれており,兵隊虫と何らかの戦いをいどむ(勝負をする)のだとという.兵隊虫と勝負をしたというN君の腕を見ると,肘の内側の一部分が赤く腫れていた.わたしには,それがとても痛そうに見えた.わたしは,N君が実際に兵隊虫勝負をするところを見たわけではなく,また兵隊虫に戦いをいどむとはどういうものなのかが全く想像できなかった.だから,わたしは兵隊虫勝負というものを一度見てみたいと思った.


 そしてついに,わたしに兵隊虫勝負を知るチャンスがめぐってきた.近所に住む1,2学年上のH君(Y君だったかも)と,公園で遊んでいるときのことだった.たまたま近くに兵隊虫がいたので,H君が兵隊虫を捕まえて勝負(戦争)をするといいだしたのだ.H君は兵隊虫を手に取り,おもむろに兵隊虫を肘(ひじ)の内側に挟み込んだのである.しばらくしてH君が自らの肘を開くと,兵隊虫は息絶えていた.わたしは,兵隊虫との勝負というものを間近で見ることができて喜んだが,同時に何かとても危険なことをしているかのように思えた.

 当初は,わたしには一体何のためにN君やH君が兵隊虫勝負をおこなったのかが不思議に思えた.つまり,兵隊虫勝負の意義がよくわからなかったのである.これはもっともな意見だと思う.何せ,兵隊虫は死ぬわけだし,兵隊虫をつぶした本人も怪我をする.まさに,相利共生ならぬ「相損共傷」である.この兵隊虫勝負が一種の根性試しであったということを明確に認識したのは,ごく最近になってからのことである.そう言えば,兵隊虫勝負を挑んだ後のH君はどこか誇らしげであり,子供ながらに格好良く見えたのを思い出す.しかしその後,H君の肘に水ぶくれはできたのだろうか?その勝敗が,全く思い出せない.

 
 考えてみれば,わたしはこの頃に大阪府箕面市の山の中で,地表を徘徊するツチハンミョウをみつけて狂喜し,それらを素手で掴んでいた.そのとき,ツチハンミョウが分泌する体液がべったりと手に付着したように記憶している.ツチハンミョウが分泌する体液にも,ツマグロカミキリモドキが持つ毒が含まれている.そんなことを考えれば,意外と兵隊虫勝負をしても水ぶくれができず,勝利をおさめることができたのかもしれない.

 ・・・いや,兵隊虫をつぶせば半端ない量の体液を浴びることになるので,決して大丈夫だと言えるものではない.そもそも兵隊虫勝負をしなかった理由は,それをすることの意義がわからなかったということもあるが,わたしに兵隊虫をひじにはさんでつぶす勇気があったとは思えない.何しろ,兵隊虫勝負をした後の赤く腫れた友人の肘を見ているのである.・・・あの頃,わたしは紛れもなく恐がりの弱虫少年だった.

 
(その3へ続く)



(主任研究員:イケダ・カメタロウ)



※本文を書くにあたり,以下の文献を大いに参考にしています(また,一部引用しています).このうち,初宿 (2000) には,兵隊虫に関する詳細が記述されています.なおこの文献は,ネット公開もされていますので,ご覧になりたいかたは こちらを参照すればよいかと思います.

★初宿成彦 (2000) なにわっ子の危険な虫あそび「兵隊虫」勝負. - Nature Study 46: 3-6