「兵隊虫 - Soldier beetle直訳語源説」について - ツマグロカミキリモドキと大阪人の大衆文化昆虫学考(その3 / 3)

<大衆文化昆虫学考シリーズ>


 ここでは,大阪におけるツマグロカミキリモドキの俗称「兵隊虫」の語源を説明する仮説のうち,「Soldier beetle直訳語源説」の個人的雑感について述べたいと思う.


 「Soldier beetle直訳語源説」について簡単に説明すると,兵隊虫ということばの語源は,Soldier beetleという言葉がツマグロカミキリモドキを指すものとして認識され,Soldier beetleに含まれる単語をそれぞれ「Soldier=兵隊」「Beetle=甲虫,虫」と個々に直訳することで「兵隊虫」と和訳され,それが大阪の市街地に広がったとするものである.

 英語がそれなりに堪能で昆虫に詳しい人でもないかぎり,日本人が「Soldier beetle」と聞いて「兵隊虫」(あるいは兵隊コウチュウ)と直訳をしてしまうことは,極めて自然な発想のように思える.たとえば,あなたは「guinea pig」や「daddy long-leg」と聞いて,どのように和訳・連想するだろうか?あるいは,この感覚や行動パターンが英語文化圏の人々でも同じであるならば,日本語が堪能ではない英語文化圏の人間が,Soldier beetleの和訳として「兵隊虫」を提示することは十分にありうることではないだろうか.


 ただし,「Soldier beetle直訳語源説」にも疑う余地は大いにある.なぜならば,実はSoldier beetleはカミキリモドキをではなく,ジョウカイボン(学名:Cantharidae(※学名はラテン語表記です))という甲虫を指す言葉だからである.ジョウカイボンとカミキリモドキは分類学的には大きく異なり,ジョウカイボン科はホタル上科 Cantharoidea(もしくはコメツキムシ上科 Elateroidea), カミキリモドキ科はゴミムシダマシ上科 Tenebrionoideaである.つまり分類学的観点から,この2 つの昆虫は比較的大きな形質的違いが認められていると言うことである.こう聞くと,「Soldier beetle→ツマグロカミキリモドキ→兵隊虫」という連想が不思議に感じられる.


 しかしながら,昆虫学的なあるいはナチュラリスト的な知識と感覚をもたないひとびとが,この2つ(ジョウカイボンとカミキリモドキ)をみて明確に区別がつけられるのかどうかは疑問である.というのも,カミキリモドキもジョウカイボンも,細長い体型に長い触角,柔らかい体など形態的な特性が大まかに共通しているのである.分類学的に大きな違いがあるといっても,それはもっと形態の細部を詳細に観察してのことである.

 そもそも,かつては分類学の世界でもジョウカイボンとカミキリモドキは,軟鞘類という同じ分類群に含められていた.また,日本で「ジョウカイボン」という言葉が誕生したのは,かつてカミキリモドキとジョウカイボンが混同されていたことが関連しているという説(平清盛法名:浄海坊(ジョウカイボンの語源といわれている)→熱病→火傷→カンタリジン→カミキリモドキ(→ジョウカイボンと混同))もある.このようなことから推測すると,カミキリモドキとジョウカイボンを,それらの大雑把な形態的類似性にとらわれて,この2つの概念(分類群)の差異性に気付かずに混同してしまうことは十分にありうることであろう.

 昆虫に興味がないひとびとが,特定の昆虫の名称や分類群をあいまいに認識しているケースは,一般的に決してめずらしいことではない.これは,多くの人々は昆虫というものに対して,形態の細部に注意を払った(あるいは,分類学的知見に基づいた)認識をしているわけではなく,もっと大雑把に漠然とその形態を認識しているからであると考えられる.


 さらに,ジョウカイボンを指す「Soldier beetle」と.カミキリモドキを指す「Oedemerids(Oedemerid beetle)」という言葉(英語)の一般性(認知度の高さ)についても考えてみる.まず,「CD-ROM版ランダムハウス英語辞典(英和・和英機能付き)」でそれぞれの言葉を調べてみると,「Soldier beetle」についてはジョウカイボンであるとの和訳説明があるが,「Oedemerids」については記載されていなかった.また,日本語で「ジョウカイボン」の英訳を調べると,Soldier beetleであると掲載されているが,「カミキリモドキ」については,その英訳は記載されていなかった.さらに,Stehr(1991)の「Immature insect - Volume 2」をひもといてみると,ジョウカイボンの英名としてSoldier beetleが記されているが,カミキリモドキの英名については記されていなかった.

 Oedemerids(Oedemerid beetle)という言葉は,カミキリモドキ科の学名Oedemeridaeを単に英語綴りにしたもので,専門用語的な属性を持つ間に合わせの言葉なのであろう.一方で,よく普及した2つの一般名詞を組み合わせてできたSoldier beetleという言葉は,カミキリモドキの英名Oedemeridsよりも俗語的で,一般性の高い言葉なのではないかと思われる.もしそうだとするならば,ジョウカイボンとカミキリモドキとの区別の難しさも手伝って,英語文化圏内の人々がカミキリモドキを見たときに,専門用語故に認知度の低い「Oedemerids」という言葉ではなく,「Soldier beetle」という言葉を使う可能性もありうることなのではないだろうか?あるいは,カミキリモドキに英語の一般名詞が存在しないのは,Soldier beetleという言葉が世間一般にはジョウカイボンだけでなく,カミキリモドキも含有する概念であったことを意味するのかも知れない.


 以上のことから,「Soldier beetle」という言葉から「兵隊虫」を連想するということについては,なんとなく自然に思われるようになったかもしれない.わたし自身は,ことに「連想する」という点については,ツマグロカミキリモドキのその色彩や形態からよりもSoldier beetleという言葉から兵隊を連想することのほうが,何となくありうることだと思っていたりする.もちろん,それはわたしが兵隊虫ということばが生まれた当時を知らないからというのがあるのかもしれない.

 なお,「Soldier beetle直訳語源説」が成立するには,大阪人,英語文化圏の人,そしてツマグロカミキリモドキが交差しなくてはならないのである.その当時,大阪人と英語文化圏の人が出会う確率,そしてその席でツマグロカミキリモドキの話題がのぼる確率・・・.こう考えると,Soldier beetleという言葉から兵隊虫という言葉が実際に成立するのも,「色彩語源説」と同様にかなり確率の低い機会的なものであるように思える.



(主任研究員:イケダ・カメタロウ)

(以上の内容には,根拠にとぼしい憶測を含みます.自信のない箇所もあります.何かご意見・ご指摘等がございましたら,メールやコメントにてご教示ください.よろしくお願いいたします:管理者より)