早春に,はかなき夏の象徴をみる - 初蝶と空蝉

 俳句とは,江戸時代に盛んになった五・七・五の音節から成る日本語の定型詩である.俳句では,主題(季語)に昆虫が比較的よく用いられることもあり,わたしも文化昆虫学の観点から注目している.そのこともあって,当ブログでは昆虫に関連する季語や俳句の作品に関して,時々紹介させていただこうと思う.


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 「空蝉(うつせみ)」とはセミの終齢幼虫の抜け殻であり,夏の季語として古典でも近代・現代の俳句でも多く詠まれている.空蝉は,古くから夏のはかない景物であるとされてきた(鈴木 1989).


 さて,2010年3月20日のこと・・・その日は,わたしにとってのモンシロチョウの初見の日でもあった.そんな春の風物詩「初蝶」に出会った日に,わたしは大阪市の某所にてミカン類の木にしっかりしがみつく空蝉の姿を目撃した.



 昨年の夏からこの日まで,幾度となく風雨にさらされたことだろう.だが,その空蝉はしっかりとした形をとどめていた.それは,本来夏のはかなさの象徴であるにもかかわらず・・・である.わたしは,そんな空蝉から力強さと粘り強さを感じた.「初蝶」と「空蝉」という季節はずれな季語のとりあわせも,実におもしろいような気がする.

 わたしは,早春にみる空蝉に大きな趣(不思議な季節感)を感じ取った.これを俳句という媒体にうまくとどめておくことはできないだろうか?俳句といえば,その季節に応じた季語を入れることがルールなのだろうが,このような季節はずれの空蝉はどのようにとらえればよいのであろうか?


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 ちなみに空蝉とは,もともとセミとは全く関係のない言葉だったようである.もともとは,「うつしおみ」で,「うつそみ」となり,「うつせみ」に転じたという.「うつしおみ」「うつせみ」とは,「この世の人の姿をして,目に見える存在ということ(目に見えない神に対する,この世の人の意)」で,平安時代に「空蝉」として,セミの抜け殻の意が派生したようである(鈴木 1989).



(主任研究員:イケダ・カメタロウ)



<参考文献>
鈴木日出男 (1989) 空蝉. - 山本健吉(編),大歳時記 第一巻(句歌春夏): 379. 集英社, 東京. 531pp.